世界的な演出家である蜷川幸雄さんが12日午後、都内の病院で亡くなられました。
非常に残念な出来事です。
死因や愛弟子とも言える藤原竜也さんのコメントなどについて詳しく見ていきましょう。
蜷川幸雄が死去!死因の病名は肝硬変?
蜷川幸雄さんは、1960年代に俳優から演出家に転向し、国内外に180本以上の舞台を演出しました。
多くの舞台人が蜷川幸雄さんが演出する洗礼を望み、数々の海外公演も成功させるなど、世界的にも高い評価を得ていました。
そんな蜷川幸雄さんが亡くなったとのことですが、過去に十二指腸潰瘍と脳梗塞になったことがあるようです。
2013年には狭心症を患い心臓のバイパス手術を受けています。
そして、2014年の11月には香港公演中に倒れてしまい緊急入院を余儀なくされました。
蜷川幸雄さんは香港公演前に、どうやら肝臓の調子が悪かったとのこと。
その後、体調は回復したものの現在では酸素ボンベが手放せない状態にまでなっていました。
実際の病名は公表されていませんでしたが、肝臓が弱っていて下血をしていたと言っていたために、肝硬変もしくは肝炎ではないかと思われます。
肝硬変になってしまうと色々な合併症を引き起こす原因にもなるとのことで、今回死去されたのも肝硬変の影響が大きいかもしれませんね。
蜷川幸雄の死去へ藤原竜也のコメントや世間の反応は?
蜷川幸雄さんの愛弟子とも言えるのは、俳優の藤原竜也さん。
蜷川幸雄さんは、1997年に「身毒丸」の主役に当時15歳の藤原竜也さんを抜擢しました
その後、藤原竜也さんとは「唐版 滝の白糸」「近代能楽集~弱法師~」「ハムレット」「ロミオとジュリエット」「天保十二年のシェイクスピア」「オレステス」「ムサシ」「下谷万年町物語」「日の浦姫物語」「ジュリアス・シーザー」など数多くのタッグを組みました。
藤原竜也さんの俳優としての成長は、蜷川幸雄さんなしでは成し得なかったことでしょう。
時には厳しく、時には愛を持って指導をする蜷川幸雄さんの姿は、藤原竜也さんの心にしっかりと残っているはずです。
以下、藤原竜也さんのコメントです。
「蜷川さんの直接の声はもう心の中でしか聞こえませんけど、蜷川さんの思いをここにいる皆でしっかり受け継いで頑張っていきます。気を抜いていたら、バカな仕事をしていたら、叱ってください」
「1997年(デビュー作となった舞台『身毒丸』の公演された年)、あなたは僕を生みました。19年、ほぼ憎しみしかないんですけど、最高の演劇人生でした」
また蜷川幸雄さんの死去に対して、世間では悲しみの声がおおくあがっています。
哀しいことが続いてしまいました。まさか、そんなことはないだろうと、未だ信じられません。今日のラジオで、私が蜷川幸雄さんから頂いた想い出を少し振り返らせてください。ご冥福を心からお祈りいたします。
— かちゃ(花菜) (@KANA_BREAK) May 12, 2016
蜷川幸雄さんが、逝ってしまった。シェイクスピアもギリシャ悲劇もこんなに面白いんだってこと、蜷川さんに教えてもらった。好きなジャンルは「蜷川作品」って答えてた。喪失感は計り知れない。演劇界の先頭を走り続けて下さった蜷川さん。本当に有難うございました。そしてお疲れ様でした。
— エンタプレス (@anfan000) May 12, 2016
https://twitter.com/ozaki_u_u/status/730675912534982656
影響力の大きな方だったため、衝撃を受け悲しむ声は多いようですね。
お悔やみ申し上げます。